【菩提心とは?】

【菩提心とは?】

『菩提心』とは何でしょうか?

大辞林に、こう書いてあります。

「最高の悟りである仏としての悟りを願いもとめる心。
大乗仏教の実践の基盤となる心。」

広辞苑には、こう書いてあります。

「① 悟りを求め仏道を行おうとする心。無上道心。
② 密教で、悟りの根源的な心。」

新明解国語辞典には、こう書いてあります。

「① 仏道に入り、真の道を求める心。
② ほとけごころ。」

明鏡国語辞典には、こう書いてあります。

「仏道修行をして、悟りを求めようとする心。
また、悟りを求め、世の人を救おうとする心。」

ブリタニカ国際大百科事典には、こう書いてあります。

「菩提はサンスクリット語のbodhiの音写で、悟りの意味。

心は一般にcittaの訳語であり、精神活動の場である。

したがって厳密には菩提心は
『悟りに向う精神の場』
を意味する。

一般的な経典では道心ともいわれ、
仏陀の境地を求めて仏道を行じようとする心のことで、
だれでも生来もっていて、
しかも最も尊い宗教心のことである。

その心を起すことを発菩提心(ほつぼだいしん)という。」

岩波 仏教辞典には、こう書いてあります。

「〈道心〉〈道意〉〈道念〉〈覚意〉ともいう。

〈無上道心〉〈無上道意〉の訳語もある。

悟り(菩提)を求める心、悟りを得たいと願う心などの意。

(中略)

〈菩提心〉(ボーディチッタ)は大乗仏教特有の用語。

特に利他を強調した求道心をいう。

菩提心は大乗仏教の菩薩の唯一の心で、
一切の誓願を達成させる威神力を持つと考えられた。

密教ではすべての美徳の成立する根本心とした。」

菩提と菩提心について、

『わかりやすい 仏教用語辞典』(大法輪閣)の中に、こう書いてあります。

「サンスクリット語のボーディの音を漢字で写したものである。

『めざめる』という意味の語ブドから作られた女性名詞である。

このブドの過去分詞がブッダであって『めざめた人』とか『悟った人』の意の語で、
『仏陀』と音が写される。

仏教の開祖である釈尊の生涯については多くの文献が残されている。

要約すれば、
かれは紀元前五世紀に、
ネパールとインドの国境地域に住んでいた部族、
シャーキャ族の首長の息子として生まれ、
妻をめとってラーフラという男児をもうけた。

しかしかれは若くして出家し、
アーラーラ・カーラーマ、
ウッダカ・ラーマプッタにあいついで師事したが満足せず、
自ら苦行を始めた。

非常に激しい苦行を行ったにもかかわらず、
それが意味のない実践であることに気付いて苦行を捨てた。

かれはネーランジャラー河で沐浴し、
食物を得て体力を養い、
アシュヴァッタと呼ばれる樹木のもとに坐って禅定にはいった。

その場所がブッダガヤーである。

そして釈尊はここでさとりを開いたのである。

そのさとりが菩提である。

さとりを求めて修行中の釈尊はボーディ・サットヴァと呼ばれる。

この語は菩薩と音写されるが、
『さとりを求めている衆生』
の意である。

また、
かれがさとりを開いた場所に立っていたアシュヴァッタ樹は後に菩提樹と呼ばれる。

アシュヴァッタはイチジクに近い木といわれ、
シューベルトの歌曲になっている菩提樹とはちがうようである。

菩提樹下の、
釈尊が坐した場所を菩提道場と呼ぶ。

さらに、
さとりを求めてやまぬ心を菩提心と呼ぶのである。

ところで、
釈尊が何をさとったのか、
という問題はきわめて重要な事柄ではあるが、
厖大な初期の文献が示す思想内容を検討して類推することが可能な程度で、
これを具体的に指摘することは至難のわざである。

しかし、
四諦・十二縁起・中道・無我・五蘊・十二処・十八界に代表される法の体系などの諸説の基本となるような事柄が、
釈尊のさとりの内容であったと見ても、
さほどひどいあやまりとはならないであろう。」(119頁〜120頁)

菩提心は、

生来、誰でも持っています。

菩提心は最も尊い信仰心です。

菩提心を自覚し、

世界平和と人類全体の幸福の実現に貢献すべく、

共に精進しましょう❗️

(参考図書)
『わかりやすい 仏教用語辞典』
(大法輪編集部編 大法輪閣)
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