【真理の探究】
【真理の探究】
自分の思考や感情を巧みに処理するコントロール術やノウハウも大事ではありますが、
単なるテクニックやノウハウを超えて、
人生の本質を掴み、
核心を衝くことがもっと大切です。
『そもそも人間とは何か?』
『人生の意味とは?』
『本当の幸せとは何か?』
『宇宙とは何か?』
といった根源的な問いに答えを出すことが肝要です。
簡単には、
『答え』は得られませんが、
真理を明らかにし、
見極めようとする探究心を持ち続けたい。
『フロレンス・ナイチンゲール 真理の探究――抜粋と註解――』(編著 M・D・カラブリア他 監訳 小林章夫 うぶすな書院)
の中に、こう書いてあります。
「人間に自らの意志と主体性と自由をもたせながら、
なおかつその意志が進んで神の意志と一つになるようにはからうこと――これは人間存在に関わる問題です。
なぜなら、
完全な愛と知の意志である神の意志こそが、
完全な幸福へと至り得る唯一の意志だからです。
したがって、
人間が幸福を獲得するためには、
その意志は神の意志と同一でなければなりません。
この問題を解決できる方法はただ一つ、
それはすなわち人間に、
自己も含めて人類全体の幸福に資する行動を取ろうとする本性と、
その本性に働きかける環境を与えることではないでしょうか。
神の幸福と人間の幸福とは同じものの内にあり、
人間の思考も感情もその他も、
真理そのものである神のそれと同じ場合においてのみ幸福であり得るというのは、
私たちが広く認めるところです。
法則に込められた神の意志の働きは、
人間の本性にも込められているように思えます――神は、法則の働きを通して人間の本性が、正しきものに対する欲求や充足感に目覚め、
歴史を重ねる中で、
人類が自らにとって正しい進歩を遂げる方法を見出すようにはからっておられるのです。
これによって人間は、
ある範囲内において自らの性質の創造者となります。
いや、
もっと正確に言えば、
正しい目的に合わせて自らの素質を修正していきます。
すなわち人間は、
ある範囲内において、
自らの生活環境を決定する――人間として正しいあり方を推進させることを目指して、
生活環境を決定していくのです。
全知全能にして完全なる神は、
このようにして、
不完全で無知なる存在に援助の手を差し伸べておられます。」(177頁〜178頁)
「私たちの宗教信条は、こうです――
すなわち全能かつ永遠の愛と知と正義の霊が、
明確な法則に従って愛と知と正義の恵みを享受することのできる人間を存在させることで、
自らを現していると信じること、
そして人間は――自分自身の、
またお互いの神性を発達させることが可能な存在であり――その人間が生きている宇宙には、
明確な法則に従って、
人間が自らの活動を通して、
人類の幸福に向かって進歩することを保証する手段や誘因が与えられていると信じることです。
人間の本性の不完全から完全への発達に資するものは何であれ、
また無知から知への進歩に役立つものは何であれ、
すべてが、
私たちが父なる神を知り、
神を感じ、
私たち一人一人に内在する聖霊を豊かにする助けとなります。
苦しみや貧しさを耐え忍ぶものが、
人間に内在する神の霊であること、
それは明らかではないでしょうか。
存在の法則に明示されているように、
神の霊は正義と知と善、
愛と慈しみの霊であるということ以外に、
私たちは神の霊について、
いったい何を知ることができるでしょうか。
あらゆる苦しみや貧しさは、
これらの神の属性の反作用であり、
否定であり、
制限に他ならないのではないでしょうか。
いやしくも人間と呼ばれる存在であるならば、
これらの神の属性を内に秘めていない存在はないこと、
それはおそらく立証できると思われます。
私たちが神について知っているすべて、
知ることのできるすべてが、
程度の差こそあれ、
多少なりとも人間のうちに存在することが確認できるのであれば、
人間が『肉において現れた』神であることは明らかではないでしょうか。
人間が充分な英知を獲得すれば、
秩序ある生活と教育とによって、
どの人間にも内在するそのような神の属性を、
おそらく呼び覚ますことができるでしょう。
実際、人間性が現にどこに存在しようとも、
神の属性の存在を証明する方向に向かっていることは、
今や否定できないのです。
経験と意識が教えてくれること、
それは、
自らの本性の一部ないしはいくつかの部分を発揮することによって私たちにもたらされるものは、
単に受動的な受け手として受け取るものよりも、
貴重だということです。
あるいはむしろ、
いかなる善なるものに対しても、
単に受動的な受け手であることは不可能であり、
それが私たち人間の本性だと言えるかもしれません。
それならば、
神の意志、
すなわち善の意志とは、
神の意思によってもたらされた存在である人間にとって本来の善性であり、
それが生活の中で充分に発揮されることを、
期待すべきではないでしょうか。
それこそが神の御心であることが、
示されているのかもしれません。
神の意志が存在せしめたそのような存在が、
最善の性質、
すなわち神自身の本性を有していること、
そして神の法則は、
それらの善性が正義と慈愛と英知の信念として実践されるように働いていることを、
私たちが想像できるのだ――こう仮定してみましょう。
そしてそれがまさしく事実であることは、
立証可能だと思われます。
すでに発見されている物質界の法則を思い起こしてください。
個人あるいは集団としての人間が、
自らを正しく保とうと、
何世代にもわたり懸命な探求を続けていることを思い起こしてください。
人間に内在する神性の実践によって、
現に存在する限界を拡大できる点を、
誰が疑えるでしょうか。
これは単なる空想に過ぎないのでしょうか。
その確信は、
経験によって裏づけられるのではないでしょうか。
ほとんど確かな目的も持たず、
知らぬうちに制限されるような生活ではなく、
人間は個人として、
また集団として、
生活に秩序をもたらすことを目指してきたという事実を思い起こしてください。
それは人間自らの本性をさらに向上させるため、
すなわち人間に内在する神性の限界を拡大するためなのです。
私たち人間が自分自身のため、
また人類のために実践を積むことによって、
さらに一層神性に近づくであろうということを、
疑うことができるでしょうか。
一人一人の人間は全体の一部であり、
人類の、
そして神の子の一部です。
人間は目標をめざす者、
すなわち父なる神そのもの、
父なる神がもつものを獲得する者です。
人間は神のうちに存在し、
真理に近づき、
真理を知る程度に応じて、
神と一体となります。
人類の場合、
一つの全体を構成するそれぞれの異なる部分が、
一つの目的に貢献しているのです。
人類は神が私たちに伝達する神性を通じた実践によって、
自分たちを聖なる者へと変革しようとしています。
人間は何一つできませんが、
受け取ることだけはできるのです。
しかし実践を通じて、
すなわち人間自身の本性を適切に働かせない限り、
何一つ受け取ることはできません。」(290頁〜293頁)
ナイチンゲールが述べているように、
私たちは、
『宇宙全体を創り出している根源的な知性である神(the Creator)の一部』
です。
神は私たちを通して、
自身の意思を実現しようとしています。
神の意思とは、
意識の進化と向上です。
世界平和と人類全体の幸福の実現です。
すなわち、
地球ユートピアの実現です。
私たち一人ひとりは微力ではありますが、
地球ユートピアの実現に寄与しましょう❗
汝は神なり 愛と光なり
汝は救世主なり
世界中の一人ひとりが救世主
(推薦図書)
『フロレンス・ナイチンゲール 真理の探究――抜粋と注解――』
(編者 マイケル・D・カラブリア他 訳者 竹内喜 菱沼裕子 助川尚子 監訳 小林章夫 うぶすな書院)
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