【心頭滅却すれば火もまた涼し】
【心頭滅却すれば火もまた涼し】
私の好きな禅の名言に、
『心頭を滅却すれば火もまた涼し』
があります。
意味は、
『無念無想の境地にあれば、どんな苦痛も苦痛と感じない。〔杜荀鶴「夏日題悟空上人院」より。
禅家の公案とされ、1582年甲斐(かい)国の恵林寺が織田信長に焼き打ちされた際、住僧快川(かいせん)がこの偈(げ)を発して焼死したという話が伝えられる〕―大辞林―』
です。
これに関して、
『禅の名言・禅の生き方』(著者 松原泰道 東洋経済新報社)
の中に、こう書いてあります。
「武田信玄(1573年没)の軍旗の『疾如風 徐如林 侵掠如火 不動如山(疾きこと風の如く 徐かなること林の如く 侵掠は火の如く 動かざること山の如し)』の句は、
テレビの『風林火山』以来、
とくに有名になった。
この信玄が帰依して禅を学んだのが、
甲斐の恵林寺に住した傑僧の快川禅師である。
信玄の没後、武田家は信長・家康の連合軍に亡ぼされる。
信長は、快川の徳を慕っていたので、
武田氏の滅亡の機会に、
礼を厚くして快川を自分の師に招くが、
快川は武田家との恩義を重んじて信長の申し入れを一蹴する。
その後、快川が武田家一党の一味に好意を寄せているとの報を聞いて怒った信長は、
快川が住している恵林寺を急襲して焼き討ちをかける。
侵入した将兵は、
快川以下一山の僧百余人を山門に追い込め、
山門の周囲にたきぎを積み重ねて四方から火を放った。
やがて火焔が彼らの周辺を包むと、
快川は一山の僧に向かっていう。
『諸君よ、われわれを焼き亡ぼすこの火焔に向かって、いかに対処するか、
平生体得したさとりの力量の程をいえ、それを最後の言葉にしよう』
と。
快川の命にしたがい、
それぞれ思い思いに自分のさとりの心境を短い言葉で述べる。
最後に快川は、
『安禅は必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し』
と唱え、
一同とともに粛然として、
生きながら猛火に焼かれて死んだ。
天正十年(1582年)四月三日の凄惨な事件である。」(105頁〜106頁)
「坐禅には静かなる環境が望ましい。
しかしそれは初歩の間である。
書の習いはじめは、
紙や墨や筆のよいものを選ばねばならぬが、
習熟すれば、いわゆる
“弘法、筆を選ばず”
で材料はあまり問題にならない。
坐禅も練熟してくると、
騒音の中でもみごとに坐り抜ける。
京都紫野の大徳寺の開山の大燈国師は、
雑踏の五条の橋のあたりで坐禅をした。
坐禅せば 四条五条の橋の上 往き来の人を そのままに見て
と歌っている。
こうした境地に達するのは容易ではないが、
決して不可能ではない。
それが
『心頭を滅却した』
安らぎの状態である。
心頭は
『念頭・心のさき』
だが、
頭は助字で、
“怒 心頭に発する”
などでわかるように、
意味はない。
『滅却』も、
ほろびる・つぶれるの字義だが、
禅の用法では、
煩悩が無くなるのではなくて、
煩悩に心を煩わされたり、
乱れたりしない働きをさす。
今の場合、
自分たちの周囲に迫っている火炎の熱さに変わりはない。
しかし、
その熱さや恐ろしさにふりまわされぬ自己の主体をしっかり把握しているから
『火も自ら涼し』
と表現する以外に表現のしようがないのだ。」(112頁〜113頁)
煩悩に振り回されないように、
『無念無想無我無心』
の境地を目指しましょう。
そのために、
早朝の瞑想を日課としましょう。
人生苦は、
理屈だけでは解決できません。
哲学的思索だけでは、
絵に描いた餅に過ぎません。
観念だけでは駄目です。
身体で味わう経験的実践が必要です。
『只管打坐』
瞑想を日課としましょう。
『心頭滅却すれば火もまた涼し』
(推薦図書)
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