【正しい人から楽しい人へ】
【正しい人から楽しい人へ】
是非・善悪・正誤の判断は、
人それぞれの物事の解釈によって
違ってきます。
自分が正しいと主張すれば、
相手を悪者にしてしまいます。
だから、
正しい人から楽しい人へシフトしましょう。
これに関して、
「ただしい人から、たのしい人へ そして『ありがとうの人』になる」(著者 小林正観 廣済堂出版)
の中に、こう書いてあります。
「私は心の勉強をしていく中で、
『どんなことに対しても腹を立てたり怒ったりせず、イライラしないことが自分にとって楽である』
ということや、
『周りの人に対して心穏やかに接することができる人を人格者といい、人格者になったときに自分がもっとも得をし、楽な生き方ができる』
ということはわかってきました。
しかし、
そういう人格者になった人でも、
最後の最後まで残る『怒り』や『憎しみ』というものがあるようです。
怒りや悲しみが何から来るのかと突きつめて、
出てきた答えが『正義感』と『使命感』でした。
正義と使命を自分の中に背負うのはいい。
しかし、
『正義感』と『使命感』というものになると、
たちまち相手を糾弾し、
憎むことになってしまうようです。
『私は心穏やかに暮らしたいのですが、
子どもがちゃんとしていないので、
怒らざるを得ないのです』
と
相談に来る人に、
私は
『そうやって怒ったり怒鳴ったりすることが楽しいですか』
と問います。
すると、
『いいえ、楽しくはありません。
でもちゃんと育てなければいけないですよね』
と反論する人が少なくないのです。
『それが楽しいのですか?』
『いいえ、楽しくはありません』
『楽しくないのなら、やめればよいではありませんか』
というのが私の答えでした。
自分が正義や使命を背負っていて、
それが『正義感』や『使命感』になったとき、
人間はどうしてもそうでない相手を糾弾してしまいがちです。
しかし、
基本的には
『自分がどう生きるか』
ということに尽きるのではないでしょうか。
周りの人が自分の思いどおりに(『私』の価値観に沿って)生きているかどうかということではなく、
自分がいかに自分の価値観に正直に生きていくか、
ということで十分なのではないかと思います。
(中略)
ある程度の心の勉強をしてきても、
最後にどうしても行き着いてしまう関門が、
この『正しさ』を追求する結果生じる『正しくない人』(自分の思うような生き方をしていない人)への怒りや憎しみであるような気がします。
『正しさ』という価値基準ではなく、
それをやることが『楽しい』のかどうか、
ということを物差しに置いてみてください。」(2頁〜5頁)
自分が正しいと主張しないことが大事です。
自分のほうが正しいと我を張っていれば、
他の誰かを悪者にしてしまいます。
善と悪を対立させると、
人間関係は壊れます。
実は、
すべての人が一つの意識で繋がっているのです。
真実は、
ワンネスです。
ワンネスの意識を持つことで、
私たちは深い安らぎや幸せを味わえます。
『偉そうにしないから、いつも尊敬される』(老子)
『静けさという根本の道に帰ることがわかっていれば、何人にも寛容になれる』(老子)
(推薦図書)
「ただしい人から、たのしい人へ そして『ありがとうの人』になる」
(著者 小林正観 廣済堂出版)
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