【臨死体験が教える事実とは?】

【臨死体験が教える事実とは?】

三回の臨死体験をされた木内鶴彦さんは、

いったい何を見てきたのでしょうか?

『宇宙を超える地球人の使命と可能性』(著者 木内鶴彦 KKロングセラーズ)

の中に、こう書いてあります。

「臨死体験によって意識体だけになったとき、

私は『膨大な意識』に囲まれていたことはすでに何度もお話してきました。

そこは、完全で、無音、暗く、

何もない一見『無』とも言える世界でした。

言ってみれば、

苦労もない、悩みも、何もありません。

三次元の人間の世界で多くの人が抱える悩み――お金の心配も病気の心配も、

人間関係の悩みなども全く存在しない、

平坦な退屈至極の世界でした。

死後、

膨大な意識に吸収されて個の意識が無くなり空間全体の一部として同化してしまいます。

ここにどのような意味があるのか私にはわかりません。

意味を問うのではなく、

この世界を知ったことが生きて戻ってきた私の残りの人生の行動を決定づけています。

これを伝えることが私の役目だと思えてなりません。

三回も、

本当に死んでもおかしくない症状で意識不明となって死にかけた私が、

今ここに存在する理由は何なのだろうと自問自答してきた人生です。

講演で、

死後の世界はこうだったと伝えると同時に、

私はこう語りかけます。

『そのような何の悩みもない、退屈至極の世界に皆さん、いたいですか?』

私はあるとき老人ホームでの講演に呼ばれたことがあります。

そこで、

『みなさん、人生で最も嬉しかった、
思い出に残る出来事を教えてもらえませんか?』

と質問したのです。

そうしたら、

すぐに答えがきませんでした。

そのうち、

それぞれ、こんな苦労をしたとか、

あのときは大変だったよと『苦労話』に花が咲いて、

苦労自慢大会になったのでした。

これは、私にとって意外な展開でした。

でも『膨大な意識』と接したときの意識体の自分を思い出したら、

すんなりわかりました。

あまりに完璧すぎて、

退屈でつまらなくなると、

『変化』を求めるのです。

たとえそれが、

『試練』や『苦労』『艱難辛苦』であっても、です。

苦労できるということは、

三次元で肉体を持っているが故の、

ある意味、

『醍醐味』なのです。

そんなバカなこと言わないでくれと反発したくなる方もいるでしょう。

子供に苦労させたくないという親心もあり、

一方で苦労は買ってでもせよという人生訓もあります。

苦労、試練があってそれを乗り越えたからこその喜びではないでしょうか?

(中略)

私も病苦、

それも医学常識から大きく逸脱するような体験をして今日に至っています。

22歳の最初の臨死体験の際は、

激痛で意識を失い、

激痛で目が覚め、

検査のときも激痛で何度も失神しました。

中国ではバケツ何杯分という大量の吐血をして、

20リットル近い輸血も受けています。

あんな体験はもう御免です。

しかし、

それがきっかけで臨死体験、

死亡体験という稀有な体験をして『宇宙の智慧』を垣間見ることができたのも事実です。

肉体という制約に戻ると、

膨大な意識から得た宇宙の情報はほとんど思い出せなくなるのです。

それが残念の極みですが、

考えてみれば、

この肉体があって、

さまざまな試練を体験して、

努力し、嘆き悲しむ、

それこそが人生だとわかりました。

そこで得る感動こそが生きている最大の喜びとも言えます。

たとえ、

ささやかであっても乗り越えたときには、

人の温かさ、

思いやり、

自然の恵みへの感謝を経験することでしょう。

それもこれも、

生きているからこそ味わえるものです。

天からの預かり物であるこの肉体をちゃんと大切に使い切って、

人生を全うする。

やはりここが大事なのですね。

私は、『太古の水』で起きた成果のため、

ずいぶん嫌な思いもしました。

自衛隊を辞めて、

天文観測と研究をしているときは、

体調も思わしくなく、

経済的にも苦しく、

暗澹たる何年かを過ごしました。

でも大好きな彗星発見という目標を決めて、

無茶ともいえる観測を始めて六年頃から、

予想外の体調の変化を実感しました。

好きなことをあきらめないでやっていると、

こんな奇跡のような変化が起きました。

皆さんも『好きなことをやる』ことが一番です。

最初の臨死体験のときに、

余命一週間と宣告されて、

猛烈な後悔に苦しんだ経験があるからです。

肉体の痛みより辛かったのです。

『あれをしておけばよかった』

『あきらめなければよかった』

『どうしてしなかったのだろう』

と。

今の人生は今回限りです。

だから、

今ある命と肉体を大切に生きることです。

死ぬことは、

すべての人に平等に保障されているのですから、

とやかく考える必要はありません。

それより、

この肉体の能力を最大限に引き出すために、

『自分はすごい』

とほめてください。

周りがほめてくれなくても、

自分がそう見ると、

細胞が活性化して元気になってきます。

病気になったら、

よくお医者様におまかせしますと言う人がいますが、

それは自分を放棄したのも同然です。

『正常になれ』

と自分の細胞に宣言し、

命令すると、

細胞自身が治ろうと決めます。

そのことは私が体験してきています。

(中略)

三度も死にかけて戻ってきた私ですが、

死ぬと、

死ぬ直前まで続いた痛みや、

苦しみはふっと消えて無くなります。

そうして出会った『膨大な意識』には、

過去はもちろん、

未来のありようも畳み込まれていました。

これに接すると、

自分が天才になったように、

ありとあらゆることがわかります。

肉体は、

借り物だったこともわかります。

まるで、

着ぐるみをちょっと脱いで置いてきたような感覚です。

身体から意識(一般的には魂と理解されている)が抜け出して少しのあいだは『名前のある自分』がわかりますが、

膨大な意識に同化、吸収されてしまうと、

自分が自分でなくなります。

個の、自分という感覚が消失します。

池や水たまりに一粒の水滴がぽつんと落ちるあの場面を思い起こしてください。

水滴は『木内鶴彦』でしたが、

膨大な意識の塊である池や水たまりに落ちたら、

その一部になってしまい、

区別がなくなります。

するとすべてが満たされました。

すべてが満たされる世界にいると何もすることがありません。

そのうち退屈でつまらなくなります。

だから生きているときの苦労さえもありがたく感じられます。

老人ホームでの『苦労自慢大会』でも明らかです。」(218頁〜224頁)

『あなたは天上で遊んでいる神だと思いなさい』(ディーパック・チョプラ)

私たちは本来、

天上で遊んでいる神です。

天上界は、

生まれることもない、

老いることもない、

病になることもない、

死ぬこともない、

愛別離苦もない、

怨憎会苦もない、

求不得苦もない、

五蘊盛苦もない、

満ち足りた至福の世界です。

見方を変えれば、

何でも思い通りになる、

退屈至極の世界だとも言えます。

だから、

Creatorは、

二項対立、

二極構造のこの世を創造しました。

思い通りにならない、

負荷の掛かった世界を創造した。

善悪・真偽・美醜のある世界、

愛と憎しみ、

誠意と不誠実、

調和と不調和のある世界を創造した。

私たちは、

この二項対立、

二極構造の世界の中で、

あらゆる経験をして楽しんでいる。

悲しんでいる人は、

もしかしたら、

悲劇のヒロインを演じて楽しんでいるのかもしれない。

困難に遭遇している人は、

どうやって切り抜けるのかを楽しんでいるのかもしれない。

そう考えると、

人生は、

すべてを楽しむためにある、

と言えるのではないでしょうか?

『人生は近くで見ると悲劇だが、
遠くから見れば喜劇である』
(チャールズ・チャップリン)

魂は、

天上界では決して味わうことのできない感情を味わいたくて、

この世に生まれてくるんじゃないのかな?

この世は、

ワクワク、

ハラハラ、

ドキドキのワンダーランド。

天上界では成長のプロセスがない。

少しずつ成長していく喜びを味わえない。

だから、

負荷の掛かったこの世界で、

成長する喜び、

感動を味わいたいんだよ、魂は。

この世のすべてを楽しむ。

単に享楽に耽るだけではなくて、

悲しみも、

苦しみも、

困難も、

思い通りにならないことも、

うまくいかないことも、

すべてを楽しめたらいいですね。

四苦八苦を楽しむ。

負荷のある世界を楽しむ。

簡単にクリアできないゲームほど面白い。

ハードルが高いゲームほど楽しめる。

人格の向上を楽しむ。

魂の成長を楽しむ。

自己意識の進化と創造を楽しむ。

(推薦図書)
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