【最善観とは?】
【最善観とは?】
『最善観』とは何でしょうか?
これについて、
『修身教授録』
(著者 森信三 致知出版社)
の中に、こう書いてあります。
「そもそもこの最善観という言葉は訳語でありまして、
西洋の言葉では、
オプティミズムという言葉がこれに相当しましょう。
通例は、
これを『楽天観』とか、
『楽天主義』と訳するのが普通ですが、
哲学のほうでは、
これを『最善観』というのが普通になっています。
元来この言葉は、
ライプニッツという哲学者のとなえた説であって、
つまり神はこの世界を最善につくり給うたというのです。
すなわち神はその考え得るあらゆる世界のうちで、
最上のプランによって作られたのがこの世界だというわけです。
したがってこの世における色々のよからぬこと、
また思わしからざることも、
畢竟するに神の全知の眼から見れば、
それぞれそこに意味があると言えるわけです。
簡単に申しますと、
大体以上のようなことになるわけです。
そしてライプニッツは、
かような見解を説明するために、
哲学者としての立場から、
色々と説いているわけですが、
今私はこの真理を、
自分自身の上に受け取って、
もしこの世が最善にできているとしたら、
それを構成している一員であるわれわれ自身の運命もまた、
その人にとっては、
最善という意味を有しなければならぬと信ずるわけです。
このようなライプニッツの所説も、
大学の学生時代には、
一向現実感を持って受け取ることのできなかった私も、
卒業後、
多少人生の現実に触れることによって、
しだいにその訳が分かりかけてきたわけであります。
そこで今この信念に立ちますと、
現在の自分にとって、
一見いかにためにならないように見える事柄が起こっても、
それは必ずや神が私にとって、
それを絶対に必要と思召されるが故に、
かくは与え給うたのであると信ずるのであります。
ところが、
『神が思召されて―』
などと言うと、
まだ宗教心を持たれない諸君らには、
あるいはぴったりしないかも知れません。
それなら次のように考えたらよいでしょう。
すなわち神とは、
この大宇宙をその内容とするその根本的な統一力であり、
宇宙に内在している根本的な生命力である。
そしてそのような宇宙の統一力を、
人格的に考えた時、
これを神と呼ぶわけです。
かく考えたならば、
わが身にふりかかる一切の出来事は、
実はこの大宇宙の秩序が、
そのように運行するが故に、
ここにそのようにわれに対して起きるのである。
かくしてわが身にふりかかる一切の出来事は、
その一つひとつが、
神の思召であるという宗教的な言い現し方をしても、
何ら差し支えないわけです。
すなわちこれは、
道理の上からもはっきりと説けるわけです。
そこで、
今私がここで諸君に申そうとしているこの根本信念は、
道理そのものとしては、
きわめて簡単な事柄であります。
すなわち、
いやしくもわが身の上に起こる事柄は、
そのすべてが、
この私にとって絶対必然であると共に、
またこの私にとっては、
最善なはずだというわけです。
それ故われわれは、
それに対して一切これを拒まず、
素直にその一切を受け入れて、
そこに隠されている神の意志を読み取らねばならぬわけです。
したがってそれはまた、
自己に与えられた全運命を感謝して受け取って、
天を恨まず人を咎めず、
否、
恨んだり咎めないばかりか、
楽天知命、
すなわち天命を信ずるが故に、
天命を楽しむという境涯です。
現に私が本日ここにこの題目を掲げるに当たっても、
最初『楽天知命』としようかとも思ったのですが、
しかしそれではこの言葉が、
余りに馴れっこになりすぎているために、
かえって諸君らが、
『フンそんなことなんか』といった調子になるといけないと思って、
わざと諸君らには親しみの少い、
この最善観というような題目を掲げたしだいですが、
しかしその内容にいたっては、
まったく同じことなんです。
私には、
人間の真の生活態度は、
どうしてもこの外にはないように思われるのです。
しかし実際にこの真理をわが身に受け入れ、
自分の生活の一切を、
この根本信念によって処していくということになると、
それは決して容易なことではないのです。
そしてその第一の難関としては、
まず最初は道理そのものとしても、
これを成る程とうなずくということ自身が、
すでに一個の難問と言ってよく、
それは決して容易なことではないと思うのです。
さらにまた、
道理としては一応分かったつもりでも、
いざことがわが身に振りかかったとなると、
やはりじたばたしなければならぬ所に、
われわれ人間の愚かさがあると言えましょう。
しかしながら、
とにかく一応道理が分かれば、
後は努力修養の問題ですから、
まずさし当たっての難関としては、
やはり道理として納得がいくということでしょうが、
しかし実際にはこれすら、
容易にはうなずきがたいことだと言えましょう。
おそらく諸君らにしてからが、
大部分の人はそうだろうと思います。
では何故この道理は、
そのように容易にうなずきにくいかというと、
それは物事にはすべて裏と表があるのです。
言い換えれば、
日向と日陰とがあるわけです。
ところが人間というものは、
とかく自分の好きな方、
欲する方に執着して、
他の反面は忘れやすいのです。
諸君たちは、
今は日向がよいと思うでしょうが、
夏になると日向はごめんと言うに相違ない。
そこで不幸というものは、
なるほど自分も不幸と感じ、
人もまたそれを気の毒、
哀れと同情する以上、
一応たしかに不幸であり、
損失であるには違いないでしょう。
しかしながら、
同時にまたよく考えてみれば、
かつては自分が不幸と考えた事柄の中にも、
そこには、
この人の世の深い教訓のこもっていたことが次第に分かってくるという場合も、
少なくないでしょう。
ところがわれわれ人間は、
自分が順調に日を送っている間は、
とかく調子に乗って、
人の情とか他人の苦しみなどというようなことには、
気付きにくいものです。
そこで人間は、
順調ということは、
表面上からはいかにも結構なようですが、
実はそれだけ人間が、
お目出たくなりつつあるわけです。
すると表面のプラスに対して、
裏面にはちゃんとマイナスがくっついているという始末です。
同時にまた表面がマイナスであれば、
裏面には必ずプラスがついているはずです。
ただ悲しいことにわれわれは、
自分でそうとはなかなか気付かないで、
表面のマイナスばかりに、
気をとられがちなものであります。
そして裏面に秘められているプラスの意味が分からないのです。
そこでいよいよ歎き悲しんで、
ついには自暴自棄にもなるわけです。
ですから、
要は人生の事すべてプラスがあれば必ずマイナスがあり、
表にマイナスが出れば、
裏はプラスがあるというわけです。
実際神は公平そのものですが、
ただわれわれ人間がそうと気付かないために、
表面、事なきものは得意になって、
自ら失いつつあることに気付かず、
表面不幸なものは、
その底に深き真実を与えられつつあることに気付かないで、
いたずらに歎き悲しみ、
果ては自暴自棄にもなるのです。
いつも大勢の前で引き合いに出して、
まことに相すまぬわけですが、
私はK君やS君のように、
ある意味で回り道された人は、
なるほど一応はお気の毒と思いますが、
しかしもし両君にして、
そのことの背後には、
いかに書物を読んでも、
またどんなに沢山の金を積んでも、
その他いかなることによっても得られず、
ただその道を自ら身をもって通過した者のみが知ることのできる、
人生の深い教訓のあることに気付かれたとしたら、
両君の通られた回り道も、
決して無駄でないばかりか、
一、二年早く卒業するかつての日の、
中学時代の同級生の何人も持ち得ない、
人生の最も貴重な収穫を得られることを確信してやまないのです。
私がここにかようなことを申すのは、
実は事柄こそ違え私自身も、
両君とまったく同じような損な回り道を、
過去十数年の生活においてたどることによって、
今やようやくにして、
ここに、
この人生至上の真理に目覚めることができたわけです。
しかし両君以外にも、
一々私が知らないだけで、
おそらくすべての人が、
それぞれの角度と程度において、
それぞれに悩みや苦しみを持っていられることでしょう。
ただ両君の場合は、
外側からもよく分かることですので、
まことに相済まぬことながら、
例に引いたしだいです。
したがって他の諸君は、
決してこれを他人事と考えてはいけないのです。
実際両君だけのことではないのですから。」(432頁〜438頁)
『最善観』は、
「何でも楽天的に考えよう!」
という短絡的な考え方ではあリません。
天命を信じて、
たとえそれが逆境であろうと、
天命を楽しむという境涯です。
『最善観』は哲学者であり、
数学者でもあるライプニッツが定義づけした歴然たる哲学です。
広辞苑にはこう書かれています。
「世界および人生の意義・価値に関して、
悪や反価値の存在を認めながらも、
現実をあり得べき最良の世界・人生と見なす立場」。
『天を怨みず人を尤(とが)めず』
(どんなに不遇でも、運命や他人のせいにせず、修養につとめる)
『神はこの世界を最善につくり給うた。
よからぬこと、
思わしからざることも、
それぞれそこに意味がある。
一見いかにためにならないように見える事柄が起こっても、
それは必ずや神が自分にとって、
絶対に必要と思召されるが故に、
かく与え給うたのであると信ずること』
これが、
『最善観』
です。
(推薦図書)
『修身教授録』
(著者 森信三 致知出版社)
本を読みましょう
(一冊の本が人生を変える)
クリック↓↓↓
この記事へのコメント