【布施とは?】
【布施とは?】
『布施』とは何でしょうか?
これについて、
『わかりやすい 仏教用語辞典』
(大法輪編集部編 大法輪閣)
の中に、こう書いてあります。
「布は普であり、広く人に施す訳である。
布施には、物やお金の財施、
智識や教えの法施の二つがある。
貪ることなき心を名付けて施(せ)というのだから、
清らかな心の働きである。
だから、
施す側と、施される側と、施し物との三者が、
みな清らかでないといけない。
善行として恵んであげると考えたり、
後の返礼を期待したら駄目になるのである。
受ける側もそれ以上のことを願ったり、
何度でもと期待の心が働いたらいけない。
もちろん、
物そのものが不浄の物では布施の行が成りたたない。
時として受ける者が、
それ以後、卑屈になったりしたら、
施すことが罪つくりにさえなる。
これを『三輪空寂』の布施という。
布施する者、受ける者、施す物、
この三者が清らかで何のこだわりもないことが大切なことである。
社会生活は広く見ると、
互いに施し合いの生活である。
会社勤めの給料は施しを受けることにほかならない。
その会社も社会から施されたり、
また施したりしている。
商売も施しの授受の作用である。
こう見てくると、
社会活動の一切は円満融通の布施の交換に依って成りたっている。
互いに扶(たす)けあい、
持ち合っての生存の目的を達成しているといえよう。
人間の互助作用ばかりでなく、
自然界でも、太陽の光と熱、
水のうるおい、風の空気、火の暖熱、
地の生育など総てが布施行の姿と受けとれる。
これら総てが先天的に布施の徳をそなえているのである。
仏言に
『貧しく施す物を持たぬときは、他の施す姿を見てよろこぶがよい。
ともによろこぶ功徳は布施と同一である』
とある。
また、
施してはならぬ物が五つあるとも教示されている。
酒類・毒薬・殺生道具・迷わす音楽・女色の五つである。
現今でも思い当たること⋯⋯キャバレー・麻薬・競輪・競馬・暴力団・狂騒街と挙げれば、
思い半ばを過ぎるものがあるのではなかろうか。
施す者は、恵み施したと自ら尊大な心を持たぬこと、
施してから施し過ぎたと後悔せぬこと、
受けた者の欠点を思って施さねばよかったと思わぬこと、
名誉を得る下心を持たぬこと、
が大事なことである。
すなわち『喜捨の心』がなければいけない。
喜捨とは、
何の求めるところのない清らかさで、
よろこんで自分の力の限りを放り捨てることである。
近来、『お布施』と呼んで、
読経へのお礼とばかり思いこんでいる人が多いが、
これは狭義もいいところである。
しかも、
自分の力精一杯どころか、
振舞お膳はにぎやかにして、
世間に見えぬ包み金の方は安手にする算段ばかりしている。
この安手な施し方としては、
眼施(柔和な目)・顔施(気嫌よい顔)・言施(温かい言葉)・身施(仕事お手伝い)・心施(他の善事賞讃)・座施(与える敷物)・舎施(座敷を用立て貸す)などがある。
財物を施すだけが布施ではない。
ともかくきれいな心と親切心があれば、
いつでも、誰でも、
布施はできるのである。」(113頁〜114頁)
布施行は、
六波羅蜜(菩薩が行うべき六つの実践徳目)の一つです。
私たちは本来、
この世で悟りを開くべく修行を積んでいる菩薩で、
悟りゲームを楽しんでいる存在なのかもしれません。
煩悩の解脱を目指し、
共に菩薩道を歩みましょう。
来たよ
来たよ
涅槃の国に
悟りを開いた皆んなと一緒に来たよ
悟りあれ
幸いあれ
(参考図書)
『わかりやすい 仏教用語辞典』
(大法輪編集部編 大法輪閣)
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