【ポジ・ネガを超えてゆけ❗️】

【ポジ・ネガを超えてゆけ❗️】

ポジティブ・ネガティブを超越して、

穏やかな心・静かな心で生きる。

心安らかに生きる。

これについて、

『宇宙のパワーと自由にアクセスする方法』
(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 渡邊愛子 フォレスト出版)

の中に、こう書いてあります。

「人生の中のすべてが一過性で変化するものです。

なぜならそれが私たちの世界の性質だからです。

しかし、

あなたが自己完結的でいるとき、

あなたは変化に逆らう代わりに楽しみます。

人々が私に質問してきたものです。

『受け入れ難い状況の場合はどうなんでしょうか?

もし私の人生で何か悪いことが起こっていたら、
どうやってネガティブになったり落ち込む代わりに、
幸せに感じられるのでしょう?』

そうですね⋯⋯あなたの源に立ち戻って、

起こっている出来事を認識してみると、

それはすべて移り変わることです。

あなたは困難な状況を、

ポジティブに捉える必要もネガティブに捉える必要もないのです。

困難な状況を常にポジティブに捉えるのはわざとらしいですよね?

もし私が常にポジティブだったとしたら、

まず1つ目に、

私はひどく退屈な人間でしょう。

2つ目に、

私はひどく不自然でしょう。

3つ目に、

誰も私と一緒にいたくないでしょう。

困難な状況を常にネガティブに捉えるのもまた不自然です。

私はきっといらいらさせるほどネガティブで、

うんざりさせる人になってしまうでしょう。

自然でいることが最高の状態なのです。

かつて私は深刻な病を持った患者を担当していて、

彼女がいわゆるポジティブな気分でない姿を見たことがありませんでした。

人をいらいらさせるほどポジティブなのです。

私はついに、

彼女にどうしてそんなことができるのか聞かざるを得ませんでした。

彼女は泣き崩れ、

『ネガティブな考えを持つことが怖い』

と言いました。

しかし、

ネガティブな考えを持つことに対して怖れるということは、

それ自体にネガティブな考えが含まれているのではないでしょうか?

私たちは自分の考えを操作する必要はないのです。

自分の考えを操作するということは不自然なことで、

ヴェーダの伝統では

『気分をつくること』

と呼ばれています。

自然に任せていることがより良く、

また自然であることの中に喜びがあります。

自然に任せ、

宇宙に自分を通して演じさせることがより良いのです。

(中略)

ネガティブ志向とはどんなものでしょう?

それは1つの解釈です。

ポジティブ志向とはどんなものでしょう?

それもまた1つの解釈です。

そしてポジティブ志向とネガティブ志向の違いは、

ときにかなり表面的なものです。

もしあなたが私にポジティブな考えを持ったほうが好ましいかどうか質問したなら、

私はこう言うでしょう。

『もちろん。

ポジティブ志向はネガティブ志向よりも好ましいです』

しかし、

ポジティブな心もネガティブな心も両方、

かき乱された状態になり得ますし、

ときどき一方が他方に非常に素早く切り替わることもあり得ます。

またたく間に勇気は恐れになることがあります。

またたく間に愛が嫉妬に変わることがあるのです。

これらは心がかき乱された状態の例です。

ポジティブな心よりもっと重要なものが、

静かな心です。

私たちはポジティブな心とネガティブな心の両方を超えて、

静かで、

判断しない、

分析しない、

解釈しない心になることを学ばなければなりません。

言い換えると、

静かな目撃者になることです。

静かに目撃している状態にあるとき、

私たちは内なる静寂を経験します。

純粋な静寂の中にいると、

私たちは自分の源と、

すべてのものにつながっていると感じます。

このつながりから生まれてくるものは、

進化的で自然発生的という傾向や性質を持っています。

静寂の中で、

私たちはただ潮流とともに流れ、

自然と状況や環境や他人や自分自身に対して判断せず、

分析せず、

解釈しないようになります。

静寂の中で、

内なるエネルギーが自然に目覚め、

各状況において適切な変化をもたらします。

(中略)

こういう言い回しがあります。

『生命の川は快楽の岸と苦痛の岸の間を流れ、両方にぶつかるものです』

両方の岸にぶつかることが問題ではありません。

ポジティブなものにしてもネガティブなものにしても、

問題は、

私たちがどちらかの岸にしがみつくときに起こります。

人生が提供するすべての矛盾に対して私たちが素早く自分自身を調和させるとき、

快楽の岸と苦痛の岸のどちらに留まるでもなく、

両方を経験しながら心地よく流れていけるとき、

私たちは自由に到達したのです。

喜びと悲しみ、

幸せと苦しみは、

反対の性質同士の遊びごとです。

それらはすべて時間に縛られているため、

一過性のものです。

あなたの本質であるスピリットは、

反対の性質同士の遊びごとから離れたところにいて、

永久不変の静かな至福の中に住んでいます。

そして、

自分自身が純粋意識の場であることを知ったとき、

あなたは自分の源から生きているのです。

それが至福です。

あなたが幸せを探し求めるのをやめて、

幸せをすでに手にしていることを知ることが、

永続的な幸せへの鍵です。

もしあなたが幸せを探し求めるならば、

一生見つけることはないでしょう。

あなたが、

幸せはその角を曲がったらあると考えているならば、

あなたは角を曲がりつづけるだけで、

ついぞ幸せを手にすることはないでしょう。

幸せへの本当の鍵は、

ポジティブさやネガティブさを超えた知性の場で暮らし、

遊ぶことなのです。

その場はあなたの源で、

魔法のようでいて、

神聖で、

喜びに満ちていて、

自由です。

幸せと悲しみは『無限の意識』の2つの異なる顔です。

どちらも一過性のもので、

あなたはそのどちらでもありません。

なぜなら、

あなたという存在は『無限の意識』の片方の状態ではないからです。

あなたはすべての状態を表現している意識そのものなのです。

あなたが海だったとしたら、

自分自身を波をみなしたり、

たった一滴の水と同一視したいでしょうか?

あなたは常に変化する海の一つひとつの『行動』ではないのです。

あなたは海の『水という性質』そのものです。

そしてこの水という性質は変わることがありません。

(中略)

人間の真の性質は『存在していること』で、

それは『考え』ではありません。

永続的な幸せを経験するには、

あなたは『考え』を超えた場所に行き、

内なる平和を経験しなければなりません。

それはポジティブでいなければならないということではありませんし、

悲しみを捨てて幸せを運び込むということでもありません。

あなたはそれら両方を超えなければなりません。

超えないとしたら、

それは単にまた別のバージョンのポジティブ志向です。

二極性の世界を超えて、

純粋潜在力の場に行き、

あなたの源に根ざして生きていかなければならないのです。

詩人のルーミーが、

彼の雄弁な詩の1つの中で

『正しい行いと間違った行いという考えを超えると、
そこにはフィールド(場)があります。

そこでお会いしましょう』

と言っています。

この『場』は考えの世界の中にはありません。

すべての概念、

考え、

そして解釈を超えたところにあります。

ルーミーが言っている『場』の中には、

あなたの願望を実現する『パワー』と、

恐れや制限からの『自由』と、

『恩寵』――シンクロニシティと自然の法則の支援を得て願望を実現していく運の良さ――の要因があります。

しかしまず最初に、

あなたは良し悪し、

正しい、

間違っているなどの二極性をこえなければなりません。

真実や良いこと、

調和や美が宇宙の自然な進化の衝動であるように、

悪や惰性、

混沌、

混乱や破壊も宇宙の自然な進化の衝動です。

そしてそれは人生を意味のあるものにしている二極間の緊張なのです。

このような対照がなかったら、

人生はどのようなものになっているでしょうか?

人生はどんよりとしたものでしょう。

あなたはすべてのことが常に良好だという映画を観に行ったことはありますか?

そんな映画は退屈です。」(147頁〜154頁)  

二項対立・二極構造を超越する。

損得、

勝ち負け、

巧拙、

優劣、

貧富、

ポジティブ・ネガティブ、

好悪、

理非(是非)、

正誤(正偽)、

善悪、

美醜、

などの二項対立を超越したところにひとつの場があります。。

それこそが、

『空(くう)』の心です。

すなわち、

『無我』です。

ジャッジメント(裁断)は必要ありません。

これに関して、

『富と宇宙と心の法則』(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク出版)

の中に、こう書いてあります。

「人生には、あらゆる対立する価値が存在しています。

喜びと悲しみ、

快楽と苦痛、

上り坂と下り坂、

暑さと寒さ、

こことそこ、

光と闇、

誕生と死など。

すべての体験には陰と陽があり、

一方が存在していなければ、

もう一方の意味は失われてしまうのです。

ある賢者はかつてこういいました。

『生まれつき目の見えない人は、暗闇といわれてもその意味はまったくわからないだろう。
なぜなら、
光を体験したことが一度もないからだ』

静かな和解、

すなわち、

あらゆる対立する価値が生き生きと共存している事実を受け入れなさい。

それを意識した瞬間、

わたしたちは自然と『区別すること』をやめるようになります。

勝者と敗者は、

対極にあるように見えますが、

実は同じ存在なのです。

区別をしなくなれば、

わたしたちの内面の騒がしい対話が収まり、

創造性への扉が再び開かれるのです。」(36頁〜37頁)

「ものごとをつねに善か悪か、

正か否かに分類しなくなれば、

意識はもっと穏やかになっていきます。

判断という重荷を捨て去った瞬間、

心のなかで交わされる対話はもっと穏やかになり、

無心の境地(思考と思考の合間)にもずっと簡単に入っていけるようになるのです。

定義、レッテル貼り、説明、解釈、評価、分析、判断などをやめることが大切です。

このようなことをすれば、

心のなかで騒がしい対話が始まってしまいます。」(31頁)

対立する価値の存在を認めることが肝要です。

区別をしなくなれば、

心は穏やかになります。

さらに、

チョプラ博士は、著書

『ゆだねるということ(下)』(訳者 住友進 サンマーク文庫)

の中で、こう述べています。

「もっとも適切な状態とは、

『中庸』であることです。

心をかき乱されるたびに、

このバランスのとれた状態は失われ、

スピリチュアルな進化は阻止されます。

シンクロニシティへの通路も遮断されてしまうかもしれません。

感情を抱くのは悪いことだとか、

避けるべきだとまでは言いません。

人はつねに感情を抱くものです。

感情を抱くのは人間の条件のひとつと言ってもいいのです。

しかし、

極端な感情を抱くと、

本来の人生の目的からはずれていってしまいます。

むろん、

激しい感情をかき立てる出来事や人間関係がなくなることはありません。

世の中には、

大きな苦痛や不安の原因となる出来事がたえず発生しています。

しかし、

ひとつの感情に執着することは避けなくてはなりません。

人生を快楽と苦痛というふたつの土手にはさまれた川だと思ってください。

その川を流れていくための最高の方法は、

川の真ん中からずっとはずれずに、

ふたつの土手から等間隔の距離を保つことです。

一方の土手に近づきすぎれば、

あなたの勢いは鈍ってしまい、

ついには岸に乗り上げてしまう危険があります。

あまりに激しい快楽だと中毒症状になる恐れがあり、

あまりに激しい苦痛は人生から楽しみを奪ってしまいます。」(85頁〜86頁)

この世は二極構造です。

あらゆる対立する価値が存在しています。

一方が存在していなければ、

もう一方の意味は失われてしまいます。

あらゆる対立する価値が共存していることを受け入れましょう。

どちらか一方に偏らないことが肝要です。

バランスと調和が肝心です。

どちらが正しいと決めつけない。

思い込まない。

頭をグニャグニャに柔らかくして視野を広げる。

二項対立を超越して、

高い次元の意識を身につけたいものですね。

ネガティブ感情より

ポジティブ感情がいいに決まってます。

しかし、

ポジティブ感情に固執すると、

かえって、

ストレスや緊張の原因になってしまいます。

目指すべきは、

ネガティブ感情とポジティブ感情を超越した穏やかな心、

すなわち、

明鏡止水

安心立命

涅槃寂静の悟りの境地です。

煩悩を解脱して彼岸へ渡る。

『善行、悪行といった考えを超越したところに、ひとつの場がある。
私があなたと出会うのはその場所だろう』
(ルーミー)

(推薦図書)
『宇宙のパワーと自由にアクセスする方法』
(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 渡邊愛子 フォレスト出版)
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『富と宇宙と心の法則』
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『ゆだねるということ(下)』
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