【慈悲の心とは?】

【慈悲の心とは?】

『慈悲』とは何でしょうか?

大辞林に、こう書いてあります。

「仏・菩薩の衆生(しゅじょう)をあわれむ心。

楽を与える慈と苦を除く悲とをいう」

倫理用語集には、こう書いてあります。

「仏や菩薩が衆生(生きとし生けるもの)を憐れみ、

いつくしむ心をいう。

楽をあたえることを慈、

苦を取り除くことを悲とし、

あわせて与楽抜苦(よらくばっく)として説明される。

他の人間のみでなく、

動植物や諸天(神々)・餓鬼(がき)をも含めたすべての生きとし生けるもの(一切衆生(いっさいしゅじょう))に対して、

母が子をいとおしむような慈しみの心を起こすことが慈であり、

また迷いの中で生きている彼らの生の苦を嘆き憐れみ、

すべての衆生の苦を取り除こうとするのが悲である。

仏教では仏や菩薩のもつ、

差別なく一切衆生に広がる平等で無量無辺(むりょうむへん)な慈悲心が讃嘆(さんたん)されるとともに、

修行者たちはみずからそうした広大な仏の慈悲にならおうとつとめる。

『あたかも、母が己(おの)が独り子を命を賭(か)けて護(まも)るように、
いっさいの生きとし生けるものどもに対しても、
無量(むりょう)のこころを起こすべし。』
(『スッタニパータ』)」

さらに、

『岩波 仏教辞典』
(編者 中村元 福永光司 田村芳朗 今野達 岩波書店)

には、こう書いてあります。

「仏がすべての衆生に対し、

これを生死輪廻の苦から解脱させようとする憐愍(れんみん)の心。

智慧と並んで仏教が基本とする徳目。

〈慈悲〉は元来、

他者に利益や安楽を与える(与楽)
いつくしみを意味する〈慈〉
(maitri友愛< mitra友)と、

他者の苦に同情し、

これを抜済しようとする(抜苦)
思いやりを表す〈悲〉
(karuna)の両語を併挙したもの。

ただし、

漢訳仏典では後者を〈慈悲〉と訳す例も多い。

両語の意義の差については、

上掲の〈与楽〉と〈抜苦〉が一般的で、

南方仏教の注釈も、

〈慈〉とは利益と安楽をもたらそうと望むこと、

〈悲〉とは不利益と苦を除こうと欲することと説明する。

あるいは衆生が苦を身に受けていると観ずるとき悲がおこり、

自分がかれらを解脱させようと思うとき慈がおこるともいわれる。

また、

慈を父の愛に、

悲を母の愛にたとえることもある。

初期の仏教では〈慈〉が多用された(例えばスッタニパータ)が、

後に〈悲〉と併称されるようになり、

さらに2語のほかに〈喜〉(他者の幸福を喜ぶ)と〈捨〉(心の平静、平等心)の二が加わって、

〈四無量心〉あるいは〈四梵住〉の名で、

修行者のもつべき基本的徳目の一種とされた
(この利他の心によって、衆生は無量の福徳を得、修行者は梵天の世界に生れるという)。

一方、

仏徳をあらわすには〈大慈大悲〉と〈大〉の字を付すが、

とくに大悲が仏徳の象徴として語られるようになる。

慈悲は部派仏教でも説かれるが
(たとえば『倶舎論』に説く〈五停心観〉の第二、慈悲観)、

大乗仏教になるとさらに強調される。

そこでは仏と同じ慈悲にもとづく利他行が修行者の全員に要求される。

慈悲は菩薩の誓願にも示されるが、

その究極は、

自己の悟りよりも衆生の抜済を先とする点にあるとされる。

また、

大乗では慈悲の根拠を空性(くうしょう)に求める。

たとえば布施を行うに当って、

施者も受者も施物もすべて空寂であるとき、

はじめて功徳を生ずるという(三輪清浄)。

また、

3種の慈悲として、

1)衆生縁、

2)法縁、

3)無縁

を挙げ、

1)は衆生に対する慈悲で凡夫にも実践出来るもの、

2)は個体を構成する諸法を対象とする慈悲で、

声聞・縁覚二乗の実践するものをさすのに対し、

3)は空の理を対象とする慈悲、

すなわち、

いかなる特定の対象ももたずに現れる絶対の慈悲で、

これが大乗の菩薩の慈悲であるとする(『大智度論』40、月称の『入中論』など)」

『慈悲の心』とは、

仏・菩薩が衆生をいつくしみ、

あわれみをかける心です。

仏・菩薩が衆生に示す最高の思いやりです。

衆生に楽を与えること(与楽)を『慈』といい、

衆生の苦を除くこと(抜苦)を『悲』といいます。

すべての人に、

『慈悲の心』

があると私は信じています。

『一切衆生悉有仏性』
(すべての衆生は、みな等しく、
悟りを得て仏になりうるための可能性・素質である仏性を備えている)

(参考図書)
『岩波 仏教辞典』
(編者 中村元 福永光司 田村芳朗 今野達 岩波書店)
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